狛犬の置き方設置例
シルクロードを経て日本に伝わった獅子像(ライオン)は仏師により木彫彫刻で表現され、角が付いた狛犬と角が無い獅子で彫り分けていた、参道に石狛犬が置かれるようになると獅子狛犬として初期の狛犬設置が確立した、阿吽で対とする日本独自の造形で参道入り口から見て右が『阿像』左が『吽像』が一般的な設置例だが、日本海側の海岸近くには左右逆に置かれた狛犬の設置例が古くから存在する、所説有るが真相は解明されてない。 |
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横置き設置で顔が45°内側を向く参道入り口から見て右側が『阿像』左が『吽像』明治以降だんだん台座が高くなる傾向が、あまり高い台座だと目線が遠くを見て目力を感じなくなる。 この置き方が日本全国に広がっていて、四角い切り石を四段か五段積み上げた上に狛犬が載る。 |
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大宝神社型狛犬(ダイホウジンジャ型)横置きの対面設置例顔は少し内側を向くがほぼ向かい合っている前足を少し引いて動きを出している、量産型の狛犬としては最新版で昭和戦前にデビュー。 台座より顔が出ていないので一般的な狛犬より小さく見える、縦置きの台座に載せる場合は前幅を広くしてボリューム感を出すのを勧めている。 |
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中国、天安門型狛犬(北獅子)中国でも縦置き設置が多く幅広の為大きな台座に載る、顔は左右とも『阿』で開口し少し顔も振っている、日本でも少数だが神社にもお寺にも建てられている。 |
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江戸期から建てられている逆立ち狛犬、石川県の海岸近くに多く建てられているが、右が逆立ちした『吽』像角が付いた個体も、左が開口『阿』像ほぼ対面設置、同系列の石工が彫り続けていて流儀が伝承されていたが大正期には途絶えてしまった、何故この置き方なのかは不明。 |
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逆立ち狛犬と同じ地区に建てられている狛犬、明治以降の石工が彫っているがやはり左右逆置きの対面設置で福井県で産出する笏谷石で彫られている。
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明治維新後暫く狛犬奉納が途絶えた時期の貴重な狛犬、明治15年琵琶湖西岸の石工集団が在った地区六尺を超える狛犬を彫り産地は解散したと聞く。 比叡山系の白い石で僅かに彩色の跡も残っている、横置きの対面設置、獅子狛犬の様式で目は磁器の玉がはめ込まれている、台座は自然石を組んで在る。 |
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この狛犬上の巨大狛犬が在る後ろの社殿、前に設置されている、此方は縦置きで顔は内側に向けられている獅子狛犬で幕末安政期の狛犬、石は安山岩系の石に見えるこの狛犬をモデルに巨大狛犬を彫ったのだろう、更にもう一組一尺にも満たない小さな狛犬も奉納されている。 |
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岡崎産地作の古代型狛犬、大宝神社狛犬狛犬のレプリカなのだが顔が真正面に向けられた特殊な狛犬、台座も切り石を積んだオーソドックスなスタイル。 |
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岡崎型狛犬の定番孫兵衛狛犬、岡ア石工集団の氏神への建立で気合が入っている、何故、縦置きの設置になったかは不明、孫兵衛七代目竹童作。 |
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東京に建っている建て年号不明の狛犬、江戸期に彫られた狛犬で間違いない一段の大きな台石に直接埋め込まれていて少々の地震では倒れないと思えるが、空襲の焼夷弾により大やけど左側のお尻の部分白く見えるのが補修の跡。 |
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長野県の中馬街道沿い街道沿いに古い狛犬が多く建っている中に、縦置き設置しかも左右が入れ替わった設置のはじめ狛犬、近くに同じ石工が彫った同型の狛犬が建っているが此方は横置きの対面設置。 |
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数え切れない位狛犬を見たが一番多かったのは出雲式狛犬の左右逆パターン横置き、次が縦置きの左右逆パターン、縦置きと横置きでは顔を彫る時には真逆になる、最初から石工が間違えて彫った可能性も何例か有ると思う、打ち合わせの時に地元の元受けに聞いても理解している石屋も少ない。 沢山撮った画像で出雲式狛犬の使える画像が無い、探し出せたら上の画像を張り替えます。 |
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