宝珠型狛犬-01 |
安政四年 土呂神社(岡崎市) 作者不明、岡崎市の南部奈良時代には矢作川を経由して都へ通じていた。 家康の時代には、『三河一向一揆』の舞台となった地区、此処に建っている狛犬が今判っている最古の狛犬になる。 天正十年伊賀市岡八幡宮に岡崎石工が彫ったとされる狛犬があり、その次が元禄で岡崎市の村積神社と豊田市の 六所神社、幕末文化十四年に孫兵衛家系の松三郎が矢作八幡社(オリジナル)岡崎石工の歴史は古いが狛犬の実 績は少ない、安政になり手本が出来量産型の宝珠型狛犬を彫り始めた。 |
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安政六年 岩津天満宮(岡崎市)(岡崎石大工「中根○○○」二十九歳)と読める、岡崎産の硬い石で細かい 細工をしてある、火災に遭い欠けや亀裂があるが姿を留めている、右の狛犬にもおそらく一角が付いていたはず。 岡崎市北部岩津地区は古くから人が住み古墳群も多く、大和朝廷以前からの歴史がある。 |
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安政六年 諏訪神社(西尾市一色町) 中根善兵衛刻、スタイル的には完成されている、上の岩津天満宮とそっく り同じ形、何年も彫り続けてこの形になったはず探せばもっと在る思う。 矢作川河口近く古くから塩田の栄えた地区で、塩の道(中馬街道)として岡崎を中継し足助へ通じていた。 |
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建て年号不明 天満神社(碧南市鷲林) 作者不明、拝殿の壁際に建てられているので風化いていないが年号 が読めない、小さな狛犬だが細かく彫ってあり岡崎の石に見えるのだが、明治以前の作かもしれない・・・・。 |
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明治七年 八劔宮(安城市) 作者不明、岡崎天満宮の狛犬より二年古くスリムな体型、台座後ろが丸まってい るのは埋め込みを考慮して丸めてある。本来ならば下に写っているお椀を伏せたような台座に埋め込まれたはず 、明治期の台座の一部に上部を丸めた石が組み込まれた形式が多い。 |
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明治九年 岡崎天満宮 石工杉浦重吉・嶺田久七 何度か通って読み取れた、「明和九年」とも読めたが奉納 者名に「嶺田久七・寅吉」と彫られている、「五代目嶺田久七」明治十五年没生前の奉納だから明治になる。 孫兵衛刻と伝えられていたが、「四代目孫兵衛」元治二年没の弟子で杉浦重吉刻と嶺田久七の合作になる。 |
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明治15年(1882) 和志取神社 安城市柿崎町和志取 作者不明 拝殿の奥に塀で囲われ近寄れない、直角に首を振ったタイプの宝珠狛犬の作者は嶺田久七か???岡崎天満 宮の狛犬と似ている。 |
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明治十七年 伊福部神社 七宝町 作者不明 傍には近づけないが良くできた狛犬、硬い花崗岩で彫られ ていて風化もない、傑作の宝珠型狛犬だ。 |
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建て年号不明 足助八幡宮(足助町) 中馬街道の中継地として栄えた町、三河と信州を木曽馬の背に百二十 キロ程の荷を乗せて往来していた。 首の下巻き毛が二段に彫られていて、上の八剱社・伊副部神社と同じスタイルになっている、同じ工房で伝承されて いるが、どの狛犬が一番最初化は判らない。 最近、道路の拡張で入り口付近の玉垣が移動され、狛犬の位置も変った。岡崎で彫って運んだのか、彫刻材には 二種類あり硬い石と、軟らかい石(オネバ)表層に近く少し風化が始まった石、黒ぽく見える狛犬は石の粒子が浮い てきている。 |
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建て年号不明 豊受神社 知多郡南知多町大字大井字北側 明治も早い時期の作だろう、タイプとしては一番彫られている狛犬、明治七年頃から二十五年頃まで 彫られた狛犬が現存する。 この狛犬頭に何もなく見える、頭上に何か付いていた跡が |
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明治21年10月() 熊野神社 東海市加木屋柿畑 作者不明 細身の体型で岡崎『信光明寺』の狛犬とシルエットが酷似している。 |
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明治二十五年 信光明寺(芭蕉天神) 作者不明、岩津天満宮参道近くに在る寺院の中に建っている狛犬。 形は小さいが上の狛犬と同じ系統の石工が彫っている。 |
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