宝珠型狛犬-02 |
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明治二十九年 小川天神社(安城市) 今井新太郎、前足の彫り方が中根善兵衛刻に似ている、この頃までは善 兵衛狛犬が伝わっていた。 |
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明治三十年 宮道天神社(御油町) 嶺田久七、岡崎天満宮と同じく首を九十度振った狛犬。 岡崎の石工達は旧東海道の岡崎宿に在った、裏町(現花崗町)界隈に多く集まり仕事をしていた、石屋町とも呼ば れ情報の伝達は早かったと思われる。 |
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明治三十二年 鴨田天満宮(岡崎市) 徳川家の菩提寺「大樹寺」近くに在る神社、小振りなので細かい細工は されてない。 |
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明治三十三年 白山神社(木曽川町) 柴田勝次朗刻、右の狛犬には一角有り、左の狛犬の頭には何か取れた 跡があり宝珠が付いていたと思われる。 尻尾は進化して、絡み合って立ち上がり彫りも深い、柴田勝次朗は岡崎の石工で酒井孫兵衛五代目と兄弟弟子の 関係近くにもう一対狛犬が奉納されている。 |
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明治三十六年 菅生神社(岡崎市) 作者不明、岡崎城近くの神社、石は硬い石で彫ってあり古い狛犬には見え ない、岡崎石工の彫った宝珠型狛犬の中では一番垢抜けている。 |
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明治三十七年春 金石神社(西尾市) 酒井孫兵衛刻、明治中期に孫兵衛とハッキリ彫ってある狛犬にやっと 出会えた、硬い石で彫ってあり線刻がしっかり残っている。 角とギボシは付いていないが古い狛犬の体のラインで、尻尾は体に密着しているが「阿」の口の中は貫けている 上の明治三十六年 菅生神社(岡崎市)の狛犬にも似ているが彫も浅く尻尾も体に張り付いたまま。 |
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明治三十八年 能見神明社(岡崎市) 齋藤徳治郎刻、 四代目孫兵衛の弟子で柴田勝次郎その弟子に齋藤徳 治郎がいる、徳治郎オリジナルと呼んでよいのかも・・・他の狛犬も見てみたい。 |
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明治39年(1906) 多奈波太(たなばた)神社 名古屋市北区金城4 作者不明ポチャリ型の二頭身狛犬、頭上 の宝珠と角は同じ形で彫られていて、判別不能。 はめ込み台座・線刻・体から離れていない尻尾等、岡崎石工の流儀で彫られている。 |
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明治39年 野宮神明社 一宮市今伊勢町乾 嶺田久七刻 横置き設置で顔は正面を向くのが久七 狛犬の特徴で前足の第一関節がくの字に彫るのも継承されている。 |
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明治41年(1908) 白山神社 半田市白山町 作者神谷半助??? 明治期にかなりの数彫られているタイプの狛犬を、宝珠狛犬に仕上げてある、しかも宝珠と角が入れ替わった、 正規タイプになっている。 最近、薬品で汚れを処理し綺麗になったが・・・・。 |
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明治43年(1910) 伊熊神社 豊田市旭町 作者不明 人面顔の宝珠狛犬、手慣れて迷い無く彫っているが、作者が分らない奉納者に岡崎市裏町と彫って有り、裏町とは 岡崎の石屋町をさす。 |
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