| 幕末の名工丹波佐吉が残した石造物 |
| 幕末の石工で丹波佐吉、渡りの職人としてい石で尺八を彫り時の皇である考明天皇に献上、素晴らしい音色だった為日本一の石工と評される、大阪を中心に近隣の仕事を受け社寺の石製品を彫り収めていた。 |
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| オリジナルの浪速狛犬を考案し、同じ型の狛犬は彫らない、和泉砂岩・安山岩など彫刻に向いた石で細密彫刻を得意として、現在二十対の参道狛犬が知られている。詳しくは此方⇒⇒⇒ | ||
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| 丹波佐吉は石仏も多く残していて、西国八十八ヵ所・西国三十三観音など大掛かりな物から単品の地蔵・観音・布袋像など祠に入った像は風化も少なく現存する。詳しくは此方⇒⇒⇒ | ||
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| 奈良県に狛犬が多く建てられていて、後の石工が彫る狛犬に佐吉狛犬の意匠が取り入れられていて、佐吉狛犬が飛び抜けたクオリティーで彫られているのが判る。詳しくは此方⇒⇒⇒ | ||
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| 佐吉と同時期、奈良を中心に狛犬の販路を広げていた大阪東横堀の石工『杉谷和助』一つの型を拘って造り込み二代目が伝承し明治の終わり頃までの狛犬を確認した。 佐吉は一体の狛犬に拘りとことん造り込み同じ形は彫らない、量産型の業者卸と彫り分けていた、和助は量産型の狛犬をブランド化して販路を広げていったし、出雲式の狛犬も独自の味付けで彫っていた。 杉谷和助の狛犬詳しくは此方 ⇒⇒⇒ |
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| もしも丹波佐吉が神前狛犬・神殿狛犬を彫っていたら⇒⇒⇒ | ||