中馬街道(塩の道) と宝珠型狛犬三河湾から飯田へ |
岡崎石工が彫る狛犬のルーツとして北から伝わったルートが在る、三河湾で作られた塩を信州飯田を経て塩尻迄運ぶ道中に、江戸期の狛犬・犬・狼・宝珠型狛犬が建てられている、伊那谷の高遠石工が彫ったと思われる出来の良い狛犬で殆どが安山岩系の石と花崗岩で加工してある。 寛政七年(1795)職人の為の画集『諸職絵鏡』に江戸の宝珠型狛犬のイラストが載り、高遠石工も参考にしたが独自の意匠で彫っているが、宝珠と角は教科書通りで狛犬本体の伝承はされてない、飯田周辺の宝珠型狛犬像が三河に伝わり岡崎石工も諸職絵鏡を参考に地元の神社に宝珠型狛犬販売しだした、最初の狛犬は安政四年岡崎市の土呂八幡宮が建て年号が最も古い宝珠型狛犬狛犬になる。 |
画像左下黄色い線が江戸時代塩田が有った地区、今は西尾市に統合されているが忠臣蔵で有名な吉良上野介の領地も含まれている、中央の赤い線が塩の道と呼ばれる中馬街道で矢作川を川船で岡崎まで運び塩坐(塩の専売所)で検品し地方へ発送された、飯田へ運ぶ塩はさらに矢作川を上り豊田市の平戸橋付近で陸揚げし、足助の塩問屋で集積し計量梱包のし直しを行い小分けして馬に載せ山道を運んだ。
静岡県もそうだが東海道沿いの神社に江戸期の狛犬は非常に少ない、中山道も塩尻から中津川にかけて江戸期の狛犬は未発見、塩尻から飯田までの街道筋の神社には多くの狛犬が建てられています。
愛知県西尾市一色町一色宮添129 諏訪神社 安政六年 石大工中根善兵衛刻
最近区画整理で道路が拡張され見違えるように、中馬街道始発の神社岡﨑石大工中根善兵衛刻、そっくり同じ姿の狛犬が岡崎にも流石職人仕事。
狛犬マニアには解るが宝珠と角が入違っている
阿像、狛犬を彫り慣れていないせいで口の中が貫けてない
硬い花崗岩に鋼の道具では限界だったかも