岡崎型狛犬 
岡崎石工の始まりは岡崎城石垣造成工事のため、大阪から石工集団をよびその後、岡崎に定住したのが元となる。
徳川家康が江戸へ移った後、家康生誕地として加護を受け石屋街を形成し大いに栄えたが、元禄期に二対彫った後幕末まで作例は見つかってない。

職人のために出版された、諸職画鏡を元に宝珠狛犬を彫り始めたが、明治維新でしばらく狛犬の製作は途絶えた、明治中期から岡崎石工独自の狛犬を彫り始めた、柴田徳次郎・今井新太郎などが名を残している。

明治末に酒井孫兵衛が新し量産型の狛犬の製作を模索し十年かけて完成したのが岡崎型狛犬になる、それから百年現在も彫り続けてる。


石の産地である愛知県岡崎市の石工達が大正初期に考案した量産型狛犬
  <b>石の産地である愛知県岡崎市の石工達が大正初期に考案した量産型狛犬</b>
 
  ① 耳は横耳で最初は耳の先は下がっていたが、徐々に水平まで上がる
 顔の周りの小さな飾り毛 顔とタテガミの間に小さな飾り毛が附くのが岡崎型
③ 尻尾は一本の立尾でくびれは一つ先端は内側に曲がる、後にバリエーションが増える
 
 
 
 
  酒井孫兵衛考案の岡崎型狛犬、大正六年デビュー。   
  酒井孫兵衛考案の岡崎型狛犬、大正六年デビュー。   
  ③④一本の立尾になっているが、岡崎型が出現する前の岡崎石工が彫った狛犬は、三本に
なった尻尾が多く④の位置に飾り毛として残っている。
この位置に飾り毛を入れる事で背中とお尻の境目の処理が簡素化された。
⑤黄色の斜線は埋め込み台座になっている、初期の岡崎型狛犬はこの形式が多く石工名・建て 年号も彫られている、尻尾の付け根も貫いてある。
 
 
 
 
   岡崎型狛犬の尻尾は主に三タイプ、うねって立ち上がる一本タイプ、背中に被さる丸尾房毛タイプ、大きくくびれたSタイプ、三本に枝分かれしたタイプも少数だか彫られている。  
  岡崎型狛犬の尻尾は主に三タイプ   
  左の狛犬は尻尾が丸尾(房毛)になったタイプ地元以外では多く見かける。
右側の狛犬は立尾のくびれが二か所になり先端は外を向く、大正12年頃からこの尻尾に替わる体のラインが細くなり造り込みが進む。
 
 
 
 
  孫兵衛直伝第一世代 『加藤八太郎狛犬』 『戸松庄松狛犬』 『成瀬大吉狛犬』
『杉浦磯次郎』
 
     
     



  最近FBで『岡崎型狛犬』『岡崎現代型狛犬』と表記される投稿が増え何処で区別するか意見を
聞かれた、孫兵衛工房考案の大正期から戦後の昭和三十年代までが手彫りで彫られていて『岡崎型狛犬』、この後石材業界も機械化が進み新しい道具により製法が変わった。
昭和四十年以降工業用ダイヤモンドで削った仕上げを『岡崎現代型狛犬』と分類、平成から加わった中国製狛犬も現代型に分類すれば収まると思う。

もう一つ『岡崎古代型狛犬』これは岡崎産地が商品名で呼んでいるのであって、分類としては『大宝神社だいほうじんじゃかた』になる。

 『岡崎現代型狛犬』 戦後復興後新しい道具で彫られた狛犬、固く脆い花崗岩だがシャープな仕上がりになる。
戦後復興後新しい道具で彫られた狛犬、固く脆い花崗岩だがシャープな仕上がりになる。 
 約20年程狛犬の奉納は途絶えていたが、戦後復興が始まり岡崎産地にも狛犬の注文が増え始めたが、多くの職人が戦死したり高齢で引退していった。
戦後急激に伸びたのが成瀬大吉の店で、早くから最新の道具を取り入れ量産していた、おそらく日本で一番多く生産された岡崎現代型狛犬になる。

 中国製岡崎型狛犬 平成になり中国から狛犬の完成品が輸入され始めた、技術指導したわけではなく見様見真似で彫ってきたため粗悪な狛犬が多かった、
平成になり中国製の岡崎型狛犬が出回り始める 
平成になり中国製の岡崎型狛犬が出回り始める、商社により画像を手本に岡崎石工と同じ道具で彫っているが、造り込みが出来て無い。 

 


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